仄暗い魔法瓶

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帽子のフルト 北西大陸の魔女達 プロローグ

 北西大陸の魔女の暮らしを書くにあたり、注意しなければならないことがある。彼女達のことを魔女と呼ぶことについてだ。

 まだ小国の点在していた古い時代、人間は、底知れぬ魔力を秘めている魔女を恐れていた。やがて彼女達が神の遣いではなく人であることを知ると、人間は魔女を弾圧するようになった。弱い魔女と、強い魔女とを選別し、繁栄の道具とした。魔女という言葉は、そうした時代の名残である。

 呪術師である私が思うに、言葉とは呪いである。人から人へ移り、激しい感情を呼び起こす。しかし、言葉とは変化するものでもある。癖の強い酒も、カクテルにすれば飲めるかもしれない。私は美味しくいただくために、あえて彼女達のことを、魔女と記すこととした。

 私は魔女の街と言われるトルテタウンで、呪術師の見習いをしていた。その時に出会ったのが、親友のフルトである。魔女見習いであった彼は、かの災厄とされるワイルドハントに銃弾を浴びせたことのある、変わった少年だった。このフルトの話を淡々と進めれば、魔女のことも美味しく頭に入っていくだろうと考えた。

 既に魔女についての本が幾つか書かれているが、この伝記はフルトの記憶を引き出した思い出話に過ぎない。これを読む者が、魔女に近しい人となることを願う。

 

 

 

一話 人食い花 前編

横浜ランプ

 天野ゆいは24歳の誕生日、デートに誘われた。

 Excelファイルを眺めつつ、私は小さな声でそう呟いた。

 指先でブラウスの襟を触りつつ、昨日のことを振り返る。確かに、会社の先輩に使っていないアカウントを教え、SNSで話をした。その時に彼がイルミネーションの話をしたものだから、私は獣のように喜んで、話題に飛びついた。あわよくば青色発光ダイオードの美しさとか、光ケーブル技術の進歩についての話が出来ると思い、つい相槌をたくさんしていたら彼と二人っきりで出掛ける成り行きになったのだ。

 先輩は人当たりが良く、派遣事務の私にも、初めて会った時から優しく接してくれる。私がこうして考え事をしている今も、狭い事務所の真ん中から、先輩の静かな声が聞こえている。得意先からのお叱り電話のようだ。新入社員が作成した書類に誰もチェックを入れていなかったようで、最近は彼が得意先に何度も足を運んでいる。

 私の右隣のデスクで請求書を纏めている葵が愚痴を言った。

「課長が優しすぎるのよね」

 事務所の奥のソファで、肩を狭めている新入社員と、それを慰めているスキンヘッドの課長が見える。ソファ近くの棚に置いてある花の形をしたランプの光で、スキンヘッドが眩しい。

 葵の更に右隣で、電話の転送ボタンを押した愛美が答えた。

「でも課長のおかげで平和だよね最近。ゆいさんもそう思うでしょ?」

「ああ、そうかもしれませんね」

 私の言葉を最後まで聞いたか聞かないかで、愛美がバッグを持って立ち上がる。葵も化粧ポーチ――に最初は見えたがよく分からない布袋――を手にして立ち上がった。午後五時三十分。三十分の残業をして二人は退社。

 私はまだ残業をする。新入社員が出来ない仕事を埋め合わせする為にだ。

「今日もまだ仕事をするんかー。俺より早く帰れよー」

 電話を切った先輩が、笑顔でそう言ってくれた。

 愛想笑いで返事をしたが、本当にその言葉は嬉しかった。気持ちは素直でも、笑顔は学生時代からうまく出来ないものだ。

 残業を終えた私は、寒空の帰路を歩く。ヒールの音が、仕事終わりの安心感を与える。

 海沿いの道で立ち止まり、イルミネーションの画像をスマホで検索した。

 全て遠くの景色ばかりで詳細が見えない。私はイルミネーションの文字を消し、青色ダイオードで検索し直して、その神秘の光の粒を見る。この荘厳な光が人工物で生まれるという驚き。人類の叡智の結晶ではないか。

 横浜の日が暮れ、私の時間が始まった。高いビルの窓が光を蓄え、半月の形をしたホテルはほんのりと赤い光が滲んでいる。車のライトがアスファルトを照らし、信号機の点滅が心を弾ませる。私にとって、横浜で見る毎日の景色も立派なイルミネーションだった。

 電車の中で久しぶりのデートの対策を考えて、自分のマンションへ帰った。賃貸だが、電気ケーブルを改造してある。無理やりに伸ばしたコードから分岐するスイッチの一つを押すと、廊下の天井に取り付けた240個の青色電球が点灯する。私は青く照らされた顔を上に向け、シャワーを浴びるように両手を広げた。

 リビングにも500個以上の電球を仕込んである。乱反射の光の渦の中で、イヤリングを外す。

 自然とため息が出た。知らない内に疲れているようだった。

 

 デートは光の速さにも思える速度で終わった。充実していた。

 先輩とイルミネーションを見たことは楽しかった。美しい青色ダイオードの絨毯へと、発狂してクラウチングスタートしそうになった身体を必死に抑え、ゆっくりの駆け足で向かう私を見て、彼は楽しそうに笑った。

 カップルで混雑している場所を避けて、二人でコーヒーを飲んでいる時、私は満足しているのだと、自分を評価した。彼には私の趣味を話しても良いかもしれないと少しだけ思った。

 彼が似合わないムートンコートを身体に被って、口を開いた。

「バイクとか車、好きでさ。乗り物好き?」

「あー、どうだろう、上京してから車も乗ってないですから。夜景見ながらは素敵かもって」

 私はぎこちなく笑った。学生時代、流れるように付き合った時も、彼氏の趣味をしゅるしゅると聞いていたことを張りつめた空気と一緒に思い出した。

 口を少しすぼめ、息の昇る夜を見上げた。空から見下ろした私は、いやここで光に照らされているカップルのみんなは、きっと平等に並んで立って見えている。

 

 翌朝、事務所で掃除をしていたら、課長が私を呼び止めた。

「ゆいさん、飲み会の件だけど今日で良いよね」

 私は次の勤務日から、別の事務所へ行くことが決まっている。飲み会は軽い送別会のつもりらしい。私が一口も酒が飲めないことを皆覚えていないのだろうか。

 私は返事をしながら、課長のスキンヘッドを見上げて、棚の上にあった花の形をしたランプが無いことに気付いた。

「課長、ここにあったランプは?」

「若い子が捨ててたね。趣味が悪いって。いつもゆいさんが掃除してくれてたのにね」

 私はそれを聞いて、はしたなく口を開けてしまった。

 新社会人として二年間頑張っている間、あのランプは職場の景色と同化していた。私にとっても面白くないランプだったが、いつも掃除をしたし、朝の独り言を聞いてくれる子だった。

 私がデスクに戻ると、隣に座る愛美と葵がいつもと違う雰囲気だった。私はその空気感で、先輩とのデートを知られたと気付いた。学校での女子グループを相手にするような、どこか懐かしい気分だ。

「ゆいさん、今までありがとう。派遣先は決まっているの?」

 愛美が棘のある感じでそう言った。私は淡々と答え、ありきたりな会話が続いた。

 愛美がトイレに向かい、私はほっと息をつく。すると、黙っていた葵が静かに近寄った。

 私が身構えていると、彼女は可愛い刺繍のポーチをプレゼントした。マスクポーチらしい。

 驚いていると、彼女は少し目を反らしながら、

「最後だからさあ。裁縫趣味だから、作りたくなっちゃって」

 そう言った。

「……可愛い」

 思わずそう言ってしまうと、葵は照れたようだった。その赤い顔に、少し気分が晴れた。

 夜になり、私は皆の後に付いて、内装の良い居酒屋に向かった。女子会に使えそうな所だ。新入社員と先輩が、先に飲み始めていた。

 簡単なお別れの言葉を言って、皆で乾杯した。他愛の無い話をしながら、時間が進んだ。

 混雑しているトイレで化粧を直し、先輩と何か話さなければと考えながら廊下を戻っていると、新入社員の声が聞こえた。

「ゆいさんと行ったんでしょ。どうなんですか」

 質問されて、先輩の声も答えた。酔っぱらっていた。

「いやあ、あんまり話弾まなかったよ。世話してやってんのに俺には愛想笑いしかしないよ」

 その言葉を聞いて私はため息をついた。伸びた背中を廊下に付けて、息苦しさを紛らわすように上を見上げた。LEDライトが私を見下ろしていた。

 私は歩き出した。皆が振り返る。マズいと思ったのだろう、真っ赤な顔の課長が立ち上がり、新入社員は何故か起立して怯える。

 私は淡々と席へ戻り、座ったままこちらを見上げる彼を見た。

 彼は何と言えばいいか悩んでいる様子だったが、表情を優しくさせて、何か気の良いことを閃いたようだった。その顔が、仕事で電話応対する時の顔と同じであった。

 私は最初に、置かれた水を彼にぶつけた。課長が手を掴んできたのを振りほどき、氷のたくさん入ったハイボールを追加で彼に落とす。皆が一斉に止めようとするのを全身の力で振りほどき、バッグを掴んで店を出た。

 着ていたスカートを引き裂くような大股で歩く。

 電話が鳴った。画面に、自分と表示されている。声は課長だった。

「ゆいさん、申し訳ない。落ち着いてくれ、君のお別れなのだから」

「すみません。事務所に忘れ物があるので、失礼します」声はガラガラだった。

「いやいや、八時からロックかかっちゃうよ。それにね、私のリュックを返してくれよ」

 ハッとなって、左腕を確かめた。乱闘の中で、課長のリュックをずっと握りしめたまま外に出てしまっていた。一方、自分のバッグは無い。今持っている携帯も課長のスマートフォンだ。

 私はそれでも何者かに急き立てられているかのように言った。

「課長、車で来ましたよね。借りていいですか」

「え、いや。忘れ物なら郵送とかでも。というか君乗れるのかい」

「ゴールドです」

 私は電話を切って、リュックの中にあるキーを取り出す。駐車されていたレクサスの黒に飛び乗った。

 私はゴールドの女。高級シートに身体を預け、教習所を思い出しながら何とかエンジンをかける。ハイヒールを脱ぎ捨て、アクセルを踏みつけ道路へ跳ぶ。

 静かなエンジン音だけが背中に響く。時速60キロ、乱反射の光の渦へ溶けてゆく。冬なのに汗が止まらず、喉が渇く。何度も道を間違え、会社に着いたのは20時過ぎ。

 会社はセキュリティがかかってしまっている。

 私は会社の横にあるごみ捨て場の前にレクサスを停め、ハイビームで照らす。

 ゴミ捨て場は私より背の高い白い柵がかかっていて、会社の鍵が無いと扉は開かないが、セキュリティを呼ばれるセンサーや、監視カメラは無い。

 通行人が見ているであろう中、私は迷うことなく片膝と両手を地面に付けた。遥か高い柵を登るためにだ。

 

 私は次の派遣先でも事務を続けた。同僚も良い人ばかりで、正社員として働くことを上司に相談している。残念ながら、職場は横浜から離れてしまったが。

「ゆいさん全然上達しませんね」

 休みの日に葵を家に呼んで、彼女と刺繍をしていた。あの日、私のバッグを葵が持ってきてくれたことがきっかけで、私達は友達となった。恥ずかしいところを見られた後だからか、電球ばかりの家に招くことも出来たし、後から知ったが、葵の方も刺繍に関して病気レベルに熱中していたから、気が合った。

 私は部屋の隅にある花の形のランプにスイッチを入れる。

「やっぱり私にはこれだ」

「昼なのに点けないでください」

 既に部屋中の電力が稼働している部屋から葵が退却した。私は大笑いをした。

ポーチに電球マークの刺繍を縫い終えると、私はそろそろ葵を送ろうと、車のキーを取り出した。職場が少し遠いから、車を買った。