仄暗い魔法瓶

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長い話1 キングスレイクの闘技場より

 ガーデンが険しい顔をすることは、滅多になかった。感受性が誰よりも深い彼は、怒りよりも先に相手の悲しみなどが分かってしまい、その穏やかな顔をもっと潤すからだ。
 緑の丘を越えてキングスレイクの街にやってくれば、フィローは心配そうな顔をもっと濃くさせた。それとは違い、ガーデンの顔は優しい。
 朝の日差しがフィローにのしかかってくる。何度も首を横に振って彼女はガーデンを止めようとするのだが、どうしようとガーデンは闘技場へ行ってしまうことをこれまでの旅で分かっている。それでもフィローは、首を振るわずにはいられないのである。
「フィロー、まだ心配か?」
「怖い」
 フィローはそう呟いた。ガーデンは優しい顔でフィローを見下ろす。
「フィローが心配することにはならないさ。宿を見つけたら、闘技場にいってくる。留守番を頼んだ」
 どんな言葉をかけたところでフィローにはあまり効果がなく、顔をぐったりと垂らしている。困ったな、とガーデンは光る髪を掻きながら呟いた。
 闘技場の受付を済ませなければならない為、悩む時間はなかった。ガーデンはフィローと手を繋ぎ、急ぎ足で、街門近くにあった宿の部屋を取る。この街で一番安かったからだ。
 一人で闘技場へと向かうガーデン。闘技場が有名な街は、ある程度の闘気を感じさせるものだ。このキングスレイクという街はそれに加え、気品というものがあった。騎士の出で立ちをした甲冑姿の男が仲間と浮かれている姿や、小綺麗な洋服店が建ち並ぶ道は、ガーデンも久しく見ていない光景であった。
 闘技場を人集めに使っている街は戦いこそが日常である。腕に覚えのある者が集い、格安の宿を取り、硬いパンや香りの強い葡萄酒、または立ち食い店で英気を養い、戦って金を受け取り次の街へ立ち去る、ただそれだけの場所。しかしそんな場所に魅入られて、観客席に座る者は後を絶たない。戦後のギルレイスにとって、闘技場は貴重な娯楽であった。
「お前も参加か、変な髪の色だな」
 机に両腕を乗っけていた受付の人物は、ガーデンと同い年くらいの男だった。ガーデンがやってくるまでに何人もの人間がエントリーをしたようで、少々くたびれている。それでもガーデンがジャケットから銅貨を何枚か取り出せば、男は元気よくそれを受け取った。
「受付金、確かに頂いた。お前は見ない顔だな、賞金渡りか?」
「名の売れない賞金渡りだ」
「ははは、それじゃ賞金渡りなんて言えねえ。そっか、よそ者だと思ったんだ、当たりだったか。じゃあ安心しな、ここは有名なキングスレイクの闘技場。殺しをした奴は下手すれば吊るしだよ」
 男は机の引き出しから紙を取り出し、渡してくる。ガーデンはその紙に偽の名前を書いた。
「へえ、リーブレットっていうのか。貴族みてえな名前だな」
「貴族じゃない」
「まあどうでもいいけど。じゃあルールの説明だ。殺しは禁止、降参有りの勝ち抜き戦で、武器装備品はいくらでもどうぞ。頭狙いが出来るけど、どうする? 賞金はちょびっとだが」
 頭狙いというのは、最後まで勝ち抜いた者とだけ一戦交える試合だ。
「いや、一回戦からやろう」
「じゃあ決まりだ。期待してるよ、リーブレットさん。あ、貴族みてえだけど、パンにもありそうな名前だよな、リーブレットって」
「パンじゃない」
「はは、冗談が通じないのも面白いもんだ」
 男は気持ち良い笑顔で、宿へ戻っていくガーデンを見送った。

 フィローがシチューを作っている中で、ガーデンはベッドに体を投げ出した。並んだ二つのベッドの内、一つのベッドが彼の暗緑のジャケットに覆われる。ジャケットも彼も動かなくなり、奥にある窓の色は、眩しいオレンジに変わる。
 ずっと眠っていたが、窓から響いてきた馬車の走る音に驚いて目を覚ました。そうして起きた拍子に足を動かし、木の柱を蹴ってしまう。柱は少し揺れて、埃が落ちてくる。ブーツから痛みが滲んでくる。
 フィローがじっとこちらを見ていることに、ガーデンは気付いた。
「何だ? 二階じゃなくて三階の部屋を取った方が良かったか」
「戦っちゃうの?」
 フィローの心配するところなど、ガーデンは分かり切っている。毎回のことなのだが、彼女を説得するのは根気が要る。
 ただ、何も心配されなくなるのもどうかと思うところがあり、これはこれで満足していた。
「戦っちゃうしかない。金がなきゃ何も食べられなくなるからな。フィローは自由に料理を作れなくなる。俺は靴磨きを勉強しなきゃいけなくなる」
 フィローは隣にあるベッドに座り、増々顔色を悪くしていく。
 ガーデンは立ち上がった。酒を作るために買っておいたレモンを、ベルトに差し込んでおいたナイフで刺した。
 ナイフで刺したレモンをフィローの首筋に当てる。レモンがとても冷たかったのでフィローは驚いた。
「降参しますか?」ガーデンは笑いながらそういい、冷たいレモンをフィローにツンツンと当てていく。フィローは、最初は我慢していたのだが、堪え切れずに笑った。外では急いで前を進む人達しかいないのに、この二人は緩やかな時間を安宿で過ごした。
 ずっと遊んでいたので、危うく温めたままだったシチューを焦がすところだった。フィローが作った大量のシチューを食べ終えた頃には、夕闇が窓から差し込む。
 フィローがお湯を浴びに姿を消す。ガーデンはふとベッドから立ち上がった。
 右手用のカットラスを、左ももの鞘から取り出す。
 革の鞘はボロボロでも、手入れが十分にされているカットラスの曲線の刃は美しい。夕闇の光がそこを静かに滑っている。
 カットラスは、船乗りや海賊がよく愛用する武器、つまりは船での戦いを考慮してあるため、短くて取り回しが利く刀剣だ。刀身の広い幅は強い打ち込みに耐え、刀身のやや反った形状は敵を斬るのに特化している。そして切っ先のみ両刃になっており、刺突も出来た。
 しかしながら、ガーデンの二振りのカットラスは普通のそれではない。刀身の幅はさらに広く、より激しい打ち込みを想定して作られている。刀身は少しの反りで抑えており、切っ先の両刃部分も通常のカットラスより多くの部分を占めているため、刀よりも剣に近い形状となっている。
 最大の特徴として、左手用のカットラスのガード部分は、かなり長い十字型をしていた。これは二振りのカットラスを同時に扱う場合、左手のカットラスを防御面に使うことが多いからだった。相対するかのように、右手用のカットラスは攻撃の邪魔をしないような形状をしている。ガーデンの持つそれはカットラスではなく、カットラスを応用した武器となっていた。
 ガーデンは右足で前へ踏み込む。同時に右手のカットラスを軸にしながら体を動かした。カットラスはほとんど腕の力を出すこともせずに、体の動きに従って空気を斬った。そのたった一度の素振りで満足して、右手のカットラスを左ももの鞘に戻した。
 ジャケットの裏ポケットや腰のベルトからナイフを全て取り出し、砥ぎ始める。フィローの寝顔を確認してから、ようやくガーデンはお湯を浴びた。


 空気を切り裂くほどの歓声が耳を貫く。
 キングスレイクの闘技場は、戦う場所以外の部屋は全て地下に設けられている。そのためガーデンは、地下から登場口へ上がってくるまでの時間、その歓声を振動でしか感じていなかった。吐息を白くする寒風の世界から、強く頭を叩くような熱帯の世界へ放り込まれたようなものだ。
 戦いの場は、剥き出しの地面ではなく、高価な青色の敷物がまんべんなく広がっている珍しいスタイル。円状の壁に囲まれつつ、誤魔化しのない青いフィールドで戦うことになる。
 ギャラリーの多い立派な闘技場を登場口から見やり、ガーデンはかなり久しぶりに緊張した。
「リーブレットさん、前へ」
 歓声の中心、闘技場の中心にいる、青緑に輝いている服を着た男がそういった。
 その派手な男の隣に、一回戦目の相手が立っていた。上半身裸の筋肉質な男で、クレイモアという両手持ちの大きな剣を引きずるように持っていた。
筋肉質な男は、登場口にいるガーデンを見た途端に薄い笑みを浮かべた。男は見た目だけでガーデンが大した相手ではないと思ったのだ。ガーデンとしては、そう思われることは好都合に違いない。
「危ない、危ない」
 フィローが首を思いっきり横に振りながら、ガーデンの暗緑のジャケットを掴む。
 この闘技場は特別観覧というものが出来て、フィローは闘技場の登場口からガーデンの戦いを見ることになっていた。もちろんフィローは戦いなど見たくないが、ガーデンが無理に連れてきたのである。
「宿でやっただろ、降参しますかって。アレをやれば大丈夫だ」
 笑いながら、ナイフの握りの部分をフィローの首筋に当てる。フィローはとうとう腕を離した。
 歓声が大きくなっていく。ガーデンはゆっくりと中心へ歩いていった。赤、青、黄の紙吹雪が戦いの舞台にパラパラキラキラ落ちる。子供の頃に見た、ピエロの行進パレードを思い出した。
 ガーデンは観客から目を離し、剣を掲げ、挑発をしている相手を観察する。
「用意は良いかな? それじゃあ始まりだっ」
 派手な男が両手を天に掲げてそう宣言すると、歓声が爆発した。反響する声達にフィローが驚いて飛び跳ねる。試合が始まったその時になって、ガーデンはこの派手な男が司会係だということにようやく気付いた。
 ガーデンは、筋肉質な男が剣を振り上げながら襲いかかってくるまで観察をして、そして動いた。
「派手にやろうぜっ」
 男が豪快に剣を振り下ろす。
 ガーデンは斬撃の余韻と風の圧を顔に浴びながら、後ろへ後ろへ逃げる。男は攻撃の手を止めずに追いかける。ガーデンが円状の壁に背をつけるまで二人のやり取りは続いた。
「逃げるだけかよお前!」男がそういって剣を横に薙ぐ。
 ガーデンは男の横へ跳んだ。ガーデンの代わりに円状の壁を剣が霞める。
 男は振り返り様に、もう一度剣を横に薙ごうとする。しかし、その剣は壁に当たる。彼が慌てて剣を構え直した時には、ナイフが男の首筋に当てられていた。ガーデンがジャケットの裏ポケットから取り出したナイフだ。
「降参しますか?」
 ガーデンが笑いながら、男ではなく向こうの登場口で見ていたフィローにいった。フィローは嬉しさで飛び跳ねた。
 あまりに早い決着に歓声が湧き上がった。ガーデンは人が変わったように歓声に応えた。手を振っているフィローには、特に思いっきりの笑顔を見せた。
 あまりに情けない負け方をした男は、悔しさを顔に出しながら剣を青い敷物の地面に叩きつける。実は連戦連敗中で、二人の子供もいて、さらに街一番の愛妻家であることは、この場の誰も知らないことである。
 ガーデンはフィローのところへ戻り、どうだ心配なかっただろ、といいながらくすぐり合戦を始める。だが、司会である派手な男がふざけ合う二人の元へ慌てて走り、まだ終わってませんよといった。
「え、今日は終わりじゃないのか?」
「違いますって。一日二回、二日目は最大で三回連続ですよ。ルールは確認してください!」
 そういわれて、ガーデンは歓声の中へ戻ろうとする。しかしフィローはまたしてもジャケットを引っ張る。
「おい、今さっき喜んでただろうが。何でまた止めるんだ」
「危ない、危ない」
「平気だよ」ガーデンはそういいながら、フィローから逃げるようにして闘技場の中心へ戻っていった。
 すぐに二回戦目の相手がやってくる。
 先ほどの相手よりも強いと一瞬で分かるような、気配からして違う痩せた男だった。髪はバンダナをしていて見えないが、上品な顔立ちをしている。両手にナイフを持ち、その小顔を静かにガーデンへ向けている。
「始め!」
 派手な男がそういって試合が始まった。一回戦目と違い、歓声が緊張感で止んだ。
 男は両手に持った二つのナイフを、順手から逆手へ、逆手から順手へ、繰り返し持ち替えながらこちらへ近付いてくる。相手は無闇に突っ込んだりせず、様子を見ることを心得ている。最初から後手に回ろうとしていたガーデンは、冷静に腰のベルトに差し込んでおいたナイフを右手に持った。
 次に何も持ってない左手を腰の後ろのカットラスへ伸ばそうとした時、男が間合いを踏み込んだ。
 男が両手のナイフを突いた。男の狙いはガーデンの肩と左手。攻撃を避けるためにカットラスに触れようとしていた左手を戻す。
 ガーデンは右手のナイフで攻撃を受け流しながら後ろへ跳ぶが、男も同時に地を蹴って追いつく。追いついてきた瞬間に男の両腕が鞭のようなしなやかさで振るわれ目の前に殺到する。カットラスを抜く暇を与えぬまま、このまま勝負を決めるつもりなのだ。
 男はガーデンの片足を踏んだ。ガーデンの上半身が揺らいだ隙にナイフを肩口へと振り下ろす。
 突如として、男の眼前からガーデンが消える。ガーデンが体重に任せて自ら倒れたのだ。
 ガーデンは倒れた体勢のまま鞘からカットラスを抜き放った。男はどうしようもなく後ろへ下がって避け、ガーデンは自由になった足ですぐさま立ち上がる。
 距離が空いた。再び沈黙が降りる。
 右手のナイフを強く握り直し、そして左手のカットラスは軽く握り、ガーデンは静かな呼吸で相手を見据えていた。男の方は、余裕がないようだった。上品な顔は曇り、目は瞬きをしながらこちらを睨んでいる。ナイフを両手に持ちながらも、その両手は呼吸と一緒に動いている。
 今度はガーデンが動いた。その場で右手のナイフを投げる。
 ナイフは無回転で正確に放たれる。男がどうにかそれを両手のナイフで弾く間に、ガーデンは勝負に出た。
 カットラスの両刃の切っ先が相手に当たる距離まで近づいた瞬間、ガーデンはカットラスを足の踏み込みに合わせて前へ突き出した。太い刀身を銀に輝かせながら、カットラスは何度も何度も男の首筋を狙って突き出される。男は後退りをしながら避けていくが、ガーデンも少しずつ前へ足を進める。
 カットラスの切っ先が当たり、尚且つ男のナイフが自分に届かない距離を完全に保っていた。
 男はこれ以上避けきれないと思い、一気に踏み込みナイフを突き出す
 ガーデンが身を引くだけで、ナイフの突きは届かない。
 ガーデンはカットラスでナイフを弾き、手首を返す。相手の首筋にカットラスの湾曲した刃を添えた。
「降参しますか?」
「あ、ああ。するさ」
 男は素直に降参を認めた。歓声が蘇り、審判である派手な男が遅れて叫んだ。
「二回戦も勝ち抜いたのはリーブレットだ!」
 またしても紙吹雪が降り注いだ。子供が大人だらけの観客席の中で一生懸命に手を振っていたので、ガーデンも手を振り返した。
 ガーデンはカットラスをボロボロの鞘に収め、フィローのところに戻ってきた。別人のようにはしゃいでいるフィローと一緒に笑いながら、闘技場を後にした。
 夕方になると、キングスレイクの街並みはさらに上品に見えた。特に、闘技場の周りに並んでいるレンガの宿は金の装飾が施されていて、絵本に出てきそうな魔法の国を連想させるものであった。夕日の陽光が石畳を照らし出し、その光の線の先に街並みが連なっている。
 フィローはそれに見惚れていた。
「金色が綺麗」
「もっと金色で燃え上がるところを見せてやるよ」
 フィローは目を瞬かせた。ガーデンが構わず歩き続けるので、フィローは慌てて追いかけた。
 二人は闘技場近くにある鍛冶屋に入った。しっかりした石と木の建物であり、冷たい空気を遮断している中は熱気と金属音で満ちていた。フィローは、外のカウンターから見える職人の真剣な顔と、鉄のハンマーから弾ける音と火花に魅入った。
 フィローをこちらからでも見える場所に待たせておいて、ガーデンは中に入った。熱い空気の中で、試作品や大量に作られた剣の刃、そして棚に掛けられた様々な形のナイフをガーデンは見物する。
「お客さん、二回戦突破おめでとう。何か用か?」老齢の職人がそう聞いてくる。
「投げナイフを買いにきた。闘技場で見てたのか」
「そりゃ、商売相手は専らそこから来るからよ」
「なるほど」
 少し小さくて、手でちゃんと握れるハンドルグリップの投げナイフはないかと質問をする。職人はすぐにガーデンが満足するナイフを大量に持ってきた。重量は標準で、それでいて握りの部分が軽いナイフ。今まで使っていたものと形状も似ていた。
「投げてみてもいいか」
「良いよ。でも買ってくれよ」
 ガーデンは外へと向かい、足元へナイフを投げた。しばらくそれを続けて戻ってきた。フィローは口を開けて火花の色を見続けている。
「買うから一本ずつ確認してもいいか」
「まいどあり。好きなだけ確認してくれ、不良品なんてねーからよ」
 職人は笑って、そしていった。
「最近、アンタみたいに実用品ばかり考えてる奴も少なくなったもんだ。やれ優美だ気品だと。しかも、ここの闘技場はやっちまうのもダメだから、偽の刃物を使う奴までいやがる」
「戦いばかりよりマシじゃないか」ナイフの刃を見ながら呟く。
「ま、あんたら賞金渡りには関係ねーかもしれねえが、こっちは響くぜ。戦争の一つでもなきゃ盛り上がらねえもんさ、世の中なんてよ」
 ガーデンはナイフの代金を払い、フィローの元へ戻った。フィローはまだ火花に魅せられている。試しにガーデンがフィローの耳元で手を叩いてみると、フィローの声が金属音のように弾けた。

 翌日になり、三回戦が始まった。残りの相手の戦いを観戦しておきたかったが、そんな時間はなかった。
「三回戦の相手は君か! そうだそうだ、君を観戦していたんだ、昨日からずっとね」
 青のベストを着た青年は、テンションが高かった。
 ガーデンは今度の相手である青年をよく見る。彼は二つのボウガンを両手に持っていた。おそらくは単純に手数を増やしたかったのだろうとガーデンは予測する。
 青年は華麗に空中で一回転してみせてから、両手のボウガンを青空に掲げる。可愛らしく端正な顔をしているので、歓声の中でも女性の声がとても多い。男の歓声はとても少ない。
「君も今の内に観客席を盛り上げた方がいい。君の曲がった包丁じゃ僕に勝てないんだから」
 相手がボウガンだけを使うのだと早々に決めつけ、ガーデンは左ももの鞘から右手用のカットラス、腰の後ろの鞘から左手用のカットラスを引き抜いた。登場口で見守っているフィローに笑顔を見せた。
「それじゃあ準備は良いね。始め!」
 派手な男がそういって、試合が始まった。
 青年は円状の壁に背がつくほど後退し、青のベストに引っ掛けていた鍔の長い帽子を被った。ガーデンはカットラスを持った両手を垂れ下げたまま、立ち止まっている。
「前の時みたいに、ナイフを構えるかと思ったよ。ナイフ投げもせずに、攻撃が当たるとでも思っているのかい?」
「ボウガンならコレの方がいい」
 ガーデンは二振りのカットラスをゆっくりと水平まで上げた。少しだけ湾曲した刀身は青空を反射し、両刃部分の切っ先は青年へ向けられる。
 青年も本気になったようだ。既に矢が装填されているボウガンを素早くガーデンに向け、そして人差し指を動かした。機械仕掛けの弦は引き絞られていたままだった状態から瞬間的に戻り、その衝撃が装填されていた矢に当てられ、飛ぶ。
 ガーデンの足を狙って撃たれた矢は空を裂き、勢いを減らすこともなく進み、最後にはカットラスの刀身にぶつかった。
「え」青年は言葉を漏らしながらも、呆気に取られた顔のまま次の矢を放つ。
 次も無駄だった。ガーデンの左腕が鋭くも緩くもない速さで動き、カットラスの刀身に矢がぶつかる。矢は弾かれ、青い敷物へと落ちた。
「僕が狙ってる場所が分かるのか、お前っ」
 二回も矢を弾いたのを見せつけられれば、いわれなくても分かることである。
「そんな奴いるわけないさ。これならどうだ」
 青年は両手のボウガンに、木製のカートリッジを乗せた。たくさんの矢束が詰まっているそのカートリッジを引けば、弦も引き絞られる。ガーデンはようやく歩き始めた。
 青年が持つ両手のボウガンから無数の矢が飛びだしてきた。連射されて打ち出された矢の雨は、ガーデンの脇腹や太ももなどを正確に狙う。ガーデンはカットラスを移動させ、全ての矢を弾きながら青年へ近付いていく。ボウガンの角度を見ることで狙われている場所を見切り、そこに幅が広く頑丈なカットラスの刀身を持っていくという単純なやり方だった。
青年は段々と狙いも付けなくなり、最後には狂人の如き暴れ方で闇雲に打ってきたが、本人さえ全く考えていない矢の軌道もガーデンは目で読み取った。
「くそっ」
 連射性能を可能にしていた木製のカートリッジが自動的に落ち、青年はボウガンを放り捨てて逃げようとする。ガーデンは右手のカットラスを、思いっきり投げた。
 カットラスは青年の足元の青い敷物に刺さった。青年は驚いて転んだ。
「降参しますか?」
 左手のカットラスを首筋に当てる。
 青年は最後に恰好悪くいった。
「降参するよ、こう見えて引き際は知っているんだ」
 案の定、歓声が轟いた。ガーデンは青い敷物に刺さったカットラスを抜き取り、鞘に収める。暗緑のジャケットが破れていないか確認してから、登場口へ戻った。
 青年は使えそうな矢を掻き集めてからその場を去った。中々に度胸のある行動だとガーデンは思った。


 四回戦目の男は、実にシンプルな外見をしていた。無精ひげを生やしている黒マントの中年であり、持っているのは一本の剣のみ。何か武器を隠し持っているというわけでもなさそうな、さっぱりとした表情をしていた。
 ガーデンはカットラスを抜く。その時に相手の中年男がいった。
「俺は降参する」
 ガーデンは眉を寄せた。
 司会である派手な男が詳細を聞こうとするが、男はすぐに踵を返して、ガーデンの反対側の登場口へ戻っていってしまった。周りからは残念そうな声が漏れていた。
 カットラスをしまってフィローの元まで戻ると、彼女は無言で問いかけてくる。
「戦ってほしかった?」
 そういうと、フィローは少し怒った。ガーデンは謝った。
 決勝戦までしばらく時間があるので、闘技場の地下にあるレンガの通路を歩いていた。すると、先ほど戦わずに降参をした男が向こうからやってくる。彼はガーデンとは反対の登場口へいったのだから、地下を潜ってこちらまでわざわざやってきたのだ。
「さっきはどうして?」
 ガーデンが聞けば、男は苦笑いを浮かべていった。
「君は本物だよ。ここには闘技場だけを考えた奴が多いからな、君みたいに実戦を知っている人間は少ない。格の違いってやつだ」
「俺に負けると思ってすぐに降参したのか」
「君みたいなのがいるとは予想外だったから、早々に諦めたよ。優勝なんて興味はないからね……甘ったるい闘技場なだけに、命を懸けた決闘が出来ないのが寂しい限りだ」
 ガーデンの隣で、フィローが何かいいたいことがあるような顔をしていた。
「どうしたんだフィロー」
「この近くのアイス屋さん」
「アイス?」
 ガーデンは闘技場近くの景色を思い返す。派手なレンガの家並みの中に、確かにアイスクリームの看板を見た気がする。高価な食べ物だ。
「アイス食べたい」
 フィローが何かを欲しがるのは、とても珍しいことだった。
 ガーデンは戸惑いながら、しばらくフィローの灰色の瞳を覗き込んでいた。浮かんでは消えていく色々な言葉の後でようやくいえたことは、決勝戦が終わったら買ってあげる、だった。
「君の活躍を楽しみにしている」
 中年の男は言葉を残して立ち去った。丁度その時に、派手な男がもうすぐ試合が始まると伝えにきてくれた。


 決勝戦の相手を見て、ガーデンは思わず声を出していた。
「一人で城壁を壊せるんじゃないか」
「はっはっは、愉快愉快」
 相手がそう返してくる。顔は兜で分からないものの、かなり歳を取っていることは声で分かった。
 全身を真紅の分厚い甲冑で覆い隠している、巨漢の男だ。肌の露出した部分は皆無で、兜の隙間から見える青い目だけが、この甲冑の中に人間が入っているのだと感じる部分だった。
 右手には一回戦目の男が持っていた物と同様の、クレイモアと呼ばれる両手剣。左手には巨漢にも負けない大きさを持つ四角形の大盾がある。分厚い甲冑と大盾に合わせて、両手剣を片手で持っているのを見るに、この男は速さなど全く考えていないのである。こうして重量に負けずに立ち続けられること自体が不思議であった。
「さて、誰もが待ち望んだ決勝戦! 始まりだ」
 派手な男がそういえば、歓声は一気に強まり、そして一気に消えた。試合開始と同時に巨漢の男が大盾を構えながらガーデンへ突進してきたからだ。
「この分厚い装甲を堪能するがいい!」
 言葉と共にガーデンに直撃する大盾。
 岩盤に打ち付けられたような痛みを越えた先に、青い敷物が目の前を塗り潰す。気が付けばガーデンは無意識に受け身を取り倒れていた。
 ガーデンは二振りのカットラスを抜き、再び突進してくる巨漢へすり抜けざまに振るう。その一撃は男の肩に当てられたが、真紅の甲冑に傷を与えただけだった。
 クレイモアが振り下ろされる。ガーデンは横へ跳びながら相手の足を蹴ろうとする。しかしそれを大盾で容易く受け止められた。ガーデンは次の攻撃を間一髪で避け、距離を置いた。
「この装甲と腕力に勝る者はおらん」
「確かに」
 ガーデンはため息をついた。右手のカットラスを左ももにあるボロボロの鞘に収めて、代わりにベルトからナイフを引き抜いた。カットラスと比べ物にならない小さなナイフで、相手の両手剣と比べてしまえば、あってないような物である。
 巨漢の男は再び走り出す。大盾を構え、両手剣を突き出しながら。
 ガーデンは激突する寸前で横に跳ぶ。しかし巨漢の男は急停止しながら大剣をその場で横薙ぎにする。ガーデンは地面に転ぶことでしかその斬撃を避けられなかった。
「終わりだ!」
 男が剣の切っ先を倒れたガーデンの喉へ触れさせようとする。だが、ガーデンが降参をする状況になる前に、巨漢の男は呻き声を上げた。
 ガーデンは転んだ瞬間にナイフを投げていた。ナイフは男の剣とすれ違い、大盾と地面の間を潜り、甲冑の隙間がある足の膝へと浅く命中した。
 ガーデンは倒れたままナイフを当てた方の男の足を蹴った。ただでさえ両手剣と大盾を持っている男は不安定に揺れ、最後にガーデンが起き上がりざまに回し蹴りを胴体に叩き込めば、不安定に揺れていた体は一定方向へゆっくりと傾き、やがては地響きを起こしてひっくり返る。
 あの装甲を纏っていれば、起き上がるのも至難の技だろう。ガーデンは男が振り回そうとしていたクレイモアの刀身を足で踏みつけ、左手に残しておいたカットラスの切っ先を、兜の隙間から見える青い目に向けた。
 老齢である巨漢の男から見れば、このリーブレットという男は不思議な何かに見えた。先ほどまで勝てると確信していたはずが、今では自分が青の敷物に寝転び、青空の雲までも反射する曲刃を向けられている。
「降参しますか?」
「参った、参ったから目は止めてくれ」
「決まったー、決まりました!」派手な男の声が歓声よりも前に響いた。
 紙吹雪がキングスレイクの闘技場を彩った。女性と男性と子供と老人の声が混ざり合い、歓声という集まりになってガーデンを取り囲んだ。ガーデンは手を振って応え、カットラスを収めた。フィローは登場口で安心しながら喜ぶ。
 負けた巨漢の男は、自らの力の弱さを認め、時間をかけて立ち上がる。注目の的であるガーデンを一度だけ見てから、愉快愉快と笑いながら闘技場を去っていった。闘技場の暗黙の了解は、敗者はすぐに立ち去ることである。
 すぐに賞金がガーデンに渡される。金貨も混ざった革袋をガーデンは貰い、感謝の言葉をいって帰ろうとしたのだが、派手な男は手製のメダルまで用意していた。ガーデンは苦い顔になって、どうにかそれを回避する方法を考えた。
「フィロー、こっちだこっち」
 登場口で静かにしていたフィローは、ガーデンに呼ばれて驚いた。
 彼女の性格のこと、大歓声の中で呼ばれるのは怪物の巣に案内されるのと同じなため、首をブンブンと横に振って断った。しかしガーデンは無理にフィローの腕を引っ張って中心に立たせた。
 最初は怯えきっていたが、じっとガーデンが見守っているおかげでようやく周りを見る余裕が生まれた。フィローは目を疑った。そこには色々な人がいて、花束を投げてくれる人、紙吹雪を舞わせてくれる人、言葉をかけてくれる人、皆が温かい目をしていた。フィローは笑顔を取り戻していることも知らずに、薄黄色の高揚感に浸かった。
 ただ、メダルをフィローの首にかけてくれた派手な男が、大きな声で「次も是非参加してくださいね」と叫んでしまえば、フィローはサイドポニーの髪を暴れさせつつ登場口の向こうまで逃げてしまった。ガーデンは派手な男をじっと見る。派手な男は、訳が分からないまま謝った。


 アイスクリームを買ってあげれば、フィローは何も言わずに食べ始めた。すぐに食べ切ってしまったので、コーンに乗っかったキャラメルアイスも買ってあげた。ガーデンはミント味を頼んだ。
「仲良く食べて美味しそうね」
 キングスレイクの家並みに似合う貴婦人が、アイスの店の前で食べていた二人に笑顔でそういった。どうやらガーデンとフィローを歳の離れた兄弟だと思ったのだろう。そう思ってガーデンがフィローへ振り向くと、彼女は何も聞こえていなかったようで、もう二つ目のキャラメルアイスを平らげていた。まるでマジックのように、一度目を離せばフィローの手元には何もなくなっている。
「もう一つ、買うか」
 呟くようにしてそう聞けば、フィローは不思議そうにガーデンを見上げた。いつもより気前が良いことはフィローにも分かることで、しかしフィローが珍しく何かを欲しがってくれた嬉しさをガーデンが隠し持っていることは、この場の誰にも分からなかった。
 イチゴのアイスを嬉しそうに食べるフィローと共に、ミントのアイスを食べながら街を去ろうとするガーデン。そんな二人を呼び止めたのは、四回戦を棄権した中年の男だった。
「決勝、見させてもらった。素晴らしかったよ。君みたいなのが現れれば私もまた観戦したいものだ……どうだ、私も強くなりたい、一つ本気の手合わせをしないか? 血も見られない闘技場の戦いなんて退屈だったんだ」
 ガーデンは中年の男とすれ違った。ガーデンが片手で持っている賞金袋が、ジャラジャラ音を立てていた。
 馬車が街を通る。ガーデンがフィローを庇うようにして馬車とすれ違い、そして二人は楽しそうな笑顔を浮かべながらキングスレイクの門を越え、木の混じった平野を越え、丘を下っていく。中年の男はもうその二人組と会うことはなかった。
 後日、キングスレイク近くにあるリーブレットという名前のパン屋が評判になった。