仄暗い魔法瓶

ファンタジー小説の投稿ブログになります。

前の話1 庭園より

 彼は強い人間ではなかった。庭園に咲く花は、自身が弱い花だと知らずに育つのかもしれない。もしもそうであれば、彼はそういう人間だったに違いない。

 彼がいつも眺めている庭園は、真っ白な壁に囲まれ、真っ白なオブジェが足元に埋め込まれ、色鮮やかな花々が咲いていた。ギルレイスで年中咲いている花もあれば、異国の花もこしらえていた。針葉樹の葉が集まったようなものがあれば、しおれたように垂れ下がりながらも、真っ白な色を見せる花もあった。遠い異国を思わせる甘い香りもしていた。

 彼は庭園の花の名を知らなければ、名を聞こうともしなかった。名を覚えることも苦手だった。名前にこだわりを持っていなかった。

 彼は庭園に腰を降ろして本を読むのが好きだった。そして一緒に本を楽しむ友達もいた。

「リーゼル、何を読んでるの?」

 リーゼルと呼ばれたガーデンは、傍に立つ女の子を見上げた。

 女の子は純白の貴族服を汚さないようにして噴水のオブジェに座り込む。背は少しだけ、女の子の方が高かった。

 女の子が本の文章を口にする。

「大きい湖にはたくさんの緑の光が集まっていて、うっすらと赤い光が中から溢れてくる。夕日が差し込んできた……そんなところがあるの?」

「分からない。でも僕はこれで想像すれば満足」

「やっぱりリーゼルは変」

 女の子は鋭い口調でそういった。

 女の子――――レミアは、いつも想像をして楽しむリーゼルのことを変な人間扱いしていた。リーゼルにとっては本の世界に入り込むなど当然のことであり、変だといっているレミアの方が変に見えた。

「何で変なの?」

「本よ、本。そんなところあるわけない。私、小さい頃にお父様にこういったわ。本に書いてある景色は本物なのかって。お父様は、半分は本物で、半分は嘘だっていったの。本物か分からないものを信じるなんて変だわ」

「どっちでも良いんだよ。信じなくて良い」

 レミアも想像くらいしたことはあるが、それは全て現実から飛び越えるものではなく、将来はどのようなドレスを着たい、どのような人と付き合いたい、といったことくらいだ。しかし彼女とは違い、リーゼルは荒唐無稽な世界を頭の中で広げては、その中で楽しさを見つけていた。夢を夢で終わらせることも楽しんでいた。

 レミアはまた黙々と本を読み始めるリーゼルをしばらく見続け、そしてついに我慢が出来なくなって笑い出す。想像することをしない彼女でも、頑張って想像しようとするリーゼルの顔を見るのは面白い。

 庭園の中で二人は笑顔で本を読み進める。だが、二人しかいなかった庭園に足を踏み込む人間が現れた。

「リーゼル様、当主様がお呼びになっております」

 声は若々しいが、整えた白髭と古傷のように深い皺の目立つ、目の前の男。リーゼルの付き人でもあり、名家グラントハイルの執事である。

 その男の名はシギンというのだが、リーゼルはその老齢の男を名前でいったことがない。生まれてから今まで名前で呼んだことのある人は、隣で一緒に本を読んでいるレミア一人だけだ。

「……分かりました」

「外で待っておられます、どのような教師を呼ぶか、当主様が相談したいようです。リーゼル様の希望される方を提案すると良いでしょう」

「はい」

 リーゼルはレミアに別れをいって、そしてシギンには目を合わせないようにし、庭園を後にした。

 金色刺繍の黒ベストを整え、後を追おうとするシギンを、レミアが呼び止めた。

「ねえシギン。リーゼルってば、想像しながら読むのが好きなんだって。それも本当じゃない本。おかしいよね?」

「そうですね。しかし、本を読む理由は様々ですから、レミア様とは違う読み方をする人がいても、それはそれで良いのでしょう」

 そういわれたレミアは納得のいかない表情で庭園を去った。残るシギンは、白いひげに手を触れさせながら、考えごとを巡らせた。