仄暗い魔法瓶

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少し長い話1 町の図書館より

 人には一つでも長所や特技があれば十分だ、と誰かがいった。ガーデンはその言葉が好きであると同時に、これほど便利な言葉はないとさえ思っている。特に、フィローを褒める時には尚更そう思うのである。

 フィローは料理が得意だった。人と上手く打ち解けられず、器用とはいいにくい性格だが、料理は素晴らしかった。ガーデンはそういう時にここぞとばかりにフィローを褒めまくり、そして料理以外で落ち込んでいる時には、お前には料理があるから十分だ、と励ます。ガーデンとしては、苦手ばかりのフィローには得意な料理を積極的にやってもらい、その時に自分はたくさん褒めておきたいところなのである。

「おい、フィロー。少し外に出てくる。料理は頼んだ」

 二人はとある宿に泊まった。久しぶりに野宿をせずに済んだというのに、ガーデンは一息をつく暇もなく闘技場の情報を求めて外に出た。フィローは一人になるのがとことん心細いのだが、料理を頼まれたからには頑張って留守番をしようと覚悟を決めた。

 ガーデンは、周りの田舎に比べれば幾分か大きい、立派な町を歩く。地方の厳しい環境の中、発展の町になると旅人の間で話題になっている町だった。

 敗戦から五年、ギルレイスは未だに内乱が続いていた。都市部ではフェルバディアとの貿易も再開しているが、地方は戦災によって物価が高まり、金が回っていない。加えて凶作にみまわれたことで、元は傭兵であった流れ者が騒動を起こし、治世もままならない。終いには地方領主も逃げ出し、無法の地となっている始末であった。

 バッグを片方の肩にひっかけて歩くガーデン。周りの人は足早にどこかを目指しており、彼だけ歩くのが遅い。

 馬車がガーデンを通り過ぎる。見たこともない置物が載せられていたのを見て、フェルバディアから珍品がやってきたのだと分かった。ガーデンはしばらくその馬車を目で追っていた。

「ねえ、あの人、剣持ってない?」

 誰かが小さな声でそういった。

 この町は乱暴な物が嫌いらしい。ガーデンが腰の後ろと左ももにそれぞれ小さなベルトで固定している二本の刀剣は、通行人達に汚い物を見るような目で吟味されつつ、彼の歩みに合わせて揺れていた。

 ガーデンはとりあえず図書館に入り、通行人の目から逃げた。

「ようこそお越しくださいました」

 カウンターに座っていた人の挨拶を無視して奥へと進む。赤い絨毯を踏んでいる長机に、バッグを置いた。

左ももの刀剣をバッグの中に、腰の後ろの刀剣をジャケットで完全に見えなくなるまで隠そうとした。そんな時に向こう側から声がかかった。

「お前さん、その剣は船乗りのものじゃないかね?」

 低くてざらざらとした声。ガーデンは図書館の常連であるお爺さんに視線を向け、首を傾げた。

「物知りだな。お爺さん」

「少しだけ反り返ったその剣を見て、ハッと閃いたんだよ。昔の本で読んだが、カットラスだったか。発音が難しいね」

カットラスでもカトラスでもいいよ」

 ガーデンは愛用している剣――――二振りのカットラスを隠した。

 ついでとばかりに本を探して、お爺さんの向かいの席に陣取って読み始める。図書館は貴重である、好きな本を自由に読める機会はあまりない。

 お爺さんは、ガーデンの剣がカットラスだと当てたことでもう満足したのか、または最初から話し込む気などないのか、無言を貫いていた。ガーデンがお爺さんに別れをいって図書館を帰る頃には、既に町の影はすっかり伸びていた。

 宿の部屋に戻ると、フィローは部屋の片隅で小さくなっていた。

 あまりに青ざめた顔をしているので、ガーデンは眉を寄せる。大人しいフィローではあるが、ガーデンが帰ってきて喜ばないのはおかしかった。

「どうした。フィローが喜びそうな本を持ってきたのに」

 フィローは黙ったまま台所を指差す。

 キッチンには完成したと思われる、よく見なければ分からない物体が残されている。ガーデンは見事に崩壊したそのオムライスをじっくりと見ていたのだが、我慢出来ずに笑った。

「大丈夫だよ。素晴らしいとは言えないけど、食えば美味いだろ」

「ごめん」フィローは意外と負けず嫌いである。

 ガーデンは今にも泣き出しそうなフィローと、ジャケットのポケットに入れておいた闘技場宣伝の紙を比べた。その紙に書かれた闘技場へ行くには何度か野宿が必要だろう。開催まで時間があるから、急ぐ理由もない。そこまで考え、ガーデンは崩壊したオムライスを味見しながらフィローの頭を撫でた。

「明日もここに泊まろうか。卵が焦げ目もなく、完璧に包めるまで、気長にやればいいさ」

 フィローは何とか気持ちを切り替え、ガーデンの言葉に甘えさせてもらった。一日で出るはずだったこの町に、二人はもう少し滞在することになった。完璧なオムライスのために。

 

 翌日になって朝早く図書館に着くと、お爺さんは昨日の場所に座っていた。

「あんた、今日もこの町に用があるのかい。旅人さんが目を見張るところなんてないと思うがね」

「ちょっとアクシデントがあったから今日も泊まることになったんだ」

「アクシデント?」

「アクシデントだ」ガーデンはまた本を探し始める。

 ガーデンが何を探しているかというと、歴史や、見たこともない場所を説明している本だ。彼は見たことのない場所を想像しながら本を読むのが好きだ。文字の一つ一つが、未開の地の、どこかのパーツを曖昧に埋めていく。本を読んでも足りないパーツをガーデンが想像で補えば、素敵で大胆な世界観が生まれていく。

ガーデンは小さなナイフを一本机に置き、本の虫となる。お爺さんは昨日と同じくずっと黙っていたのだが、とうとう痺れを切らした。この不思議な男に質問したいという欲求は、ガーデン以上に本の虫であるお爺さんを動かしてみせたのだ。

「何でナイフを置くんだね」

「安全のために。カットラスをぶら下げていると派手だから、ナイフはその代わり」

「用心深いことだ。でも安心しなさい。私は五年前からここで本を読んでいるが、乱暴な者は現れなかったよ」

「これから起きるかもしれない」

「さあ、どうなんだろうね」

 お爺さんは初めてガーデンに笑みを見せた。そしてまた本へ目を戻した。

 夕方まで本との睨めっこが続いた。ガーデンは何度か休憩をしたのだが、お爺さんは休むことなく本を読み進めていて、ページをめくるスピードも速い。ガーデンは、そのページのめくる音を心地良く思いながら、図書館の丸い天井を見上げていた。

 本の匂いと静けさが、心の真空の外でずっと続く。

 いつしか何も考えず、ただお爺さんがめくるページの音を待っていた。しかしページの音はいきなり聞こえなくなった。

「不用心なことだ」

 お爺さんがそう言った。

ガーデンは咄嗟に右手を伸ばすが、ナイフはもうお爺さんの手に渡っている。

「このようなこともあるから注意した方がいいよ」

「気付かなかった」

「本に書いてあったんだ。詐欺師は前々から伏線を置く。私に安心してしまったら負けだよ」

 ガーデンはナイフを返してもらった。ベルトに再び差し込む。

「色々な本を読んでるんだな」そういってお爺さんを褒めても、相手は苦笑いで否定した。

「所詮、墓まで持って行く知識がほとんどだね。本を頼る時は、意外と人生の中で少ないものだ。私には本は要らなかったのかもしれない、でもそれで良いと思ってるがね」

 その言葉をしばらく無言で考えていたガーデンに気付き、お爺さんは会話を中断した。

「人と話すのは久しぶりだから、思わず長話をするところだった。すまない」

「いや、気になるから続けてくれ」

 ガーデンが促した。聞くことが好きだから、中途半端に話を止められるのはとても嫌だった。

「そう何を主張するようなものではないんだがね……ただ、私は、よくいえないがこう思う。私には本は要らないし、学んだことを活かせることもあまりない。でも私は学ぶことを楽しんでいる。そう思える人生が幸せなんだってね」

「よく分からない」

「人間、楽しいと思えればそれで良いんだ。勉強だって、無理矢理に進めていく奴より、目的がなくても楽しんでやってる奴の方が覚えるのが早かったりするだろう? 私は好きなものを好きで学んで、嫌なことには活用しない。たとえ使わなくても、無駄になったとしても幸せに感じる。でも、嫌なものに利用するために学んだ人ほど悲しい人はいないと思うね」

「好き嫌いが大切ってことか」

「そう。そうかもしれないね」お爺さんはただ笑っただけだった。

「何でいきなりそんなことをいう気に? 俺は聞いて良かったが」

「そうだね、もうすぐこの町を出るからだろうね」

 

 夕暮れと夜の間の道を、お爺さんとガーデンは歩く。お爺さんの緩やかな歩調にガーデンが合わせていた。

 周りの人達はガーデンを蔑むような目で見てから通り過ぎていく。賞金渡りをしている以上、絡まれたりすることは多かったが、汚いものを放置するように無視される気分はあまり経験がなかった。

「アンタ、そのナイフやらカットラスやら、使えるのかい。それともただの護身用かい」

「どうだろう」ガーデンは暗緑のジャケットのボタンを閉めながら、曖昧に返事をした。そろそろ町は寒くなってきた。「包丁よりは使い慣れてる」

「それをもし使えたとして、使えて嬉しいかね?」

「分からない」ガーデンは迷わずにそういった。

「そうか。君が楽しく学べて、楽しく使えることを祈っているよ」

 お爺さんは、そのことを聞きたかっただけで一緒に歩いていた。彼は踵を返してガーデンの反対を歩く。立ち止まっているガーデンと、荷物を満載した馬車と、蔑む目が行き交う道を、溶けるようにずっと向こうまで歩いていった。

 後から町の住民の噂がガーデンの耳に入った。お爺さんは五年前に旅人として町へやってきたらしい。毎日、どこから出てくるか分からないお金で生活しながら、図書館へ通っていたそうだ。図書館の本を全て読み終えるまで、町にいるのだといっていたらしい。どこかの勉強好きな貴族ではないのだろうか、と安い推測をガーデンはした。

 宿に戻ると、フィローが完璧なオムライスを見せてくれた。卵は全く焦げておらず、綺麗に包まれている。形も素晴らしく、かけられているケチャップの赤色が黄色い中で目立っていた。味はまだ分からないが。

「俺にも今度、教えてくれよ。料理なんてやったことないから」

 フィローは少し戸惑った。

 ガーデンはいつも優しい顔をしているが、今日はいつもより優しい目をしていたからだ。お母さんに作ってもらったドレスを着て、元気に踊っている町娘のような目をガーデンは持っていた。

「どうやって教えたらいいの」

 フィローの言葉にガーデンは笑った。ジャケットを脱ぎ、隠していたカットラスをベッドに放ってから、まずはオムライスから学ぶことにした。真っ黒なオムライスがその日に生まれた。